不思議なつながり(1)
前回、四季の移ろいの言葉について述べました。春、夏、秋、冬は、美しい言葉です。しかし、その言葉は今からわずか千数百年前に作られたと考えられます。しかし、
その言葉の源を振り返ってみると、古代大和民族の精神が色濃く反映されたものと考えてよいでしょう。自然の移り変わりは神の計らい事と考え、神への感謝を称えてきたものと考えられます。今では節分は二月にのみ行われますが、むかしは節分は、季節の変わり目毎にお祭りを行ったものでした。
三万年以上続いた平和で豊かな生活を享受していたところに、今から三千年から二千五百年前に、大陸との交流が始まり、終焉を迎えます。
武器を持って人の富を奪う収奪文明の始まりです。それを弥生時代と称します。
武器をもって、今まで親しかった人たちを従わせ、その隣人が作った作物や生産物を取り上げ、自らは支配者となっていきました。いわゆるピラミッド構造の社会に作り変えられていきます。それまでは、丸い輪の文明でした。輪の中心に全体をまとめる調整役はいましたが、その人たちも生産活動に参加し、ともに平等な社会で平和に暮らしていました。
かたやピラミッド社会では、頂点にいる者の権力を維持するために軍備が整えられ、また、国(地域)をまとめるための行政機構が作られ、整備されていったのです。その膨大な費用を農民から調達しました。権力によって、また武器を持って、生産物の一部を奪い取ったのです。これを、「徴税制度」として合法化し、現代に至る体制になってゆきます。税法や各種法律を整備するために中国の漢字が導入されました。今までの魂の入った言葉ではなく、冷たい行政上の言語に変わっていったのです。これを言語の発達と学問上は言いますが、あくまでもピラミッド社会の冷たい統治の言語です。
この大変化が日本の伝統文化を大きく歪めていくことになります。
各地で権力者によって富が集中し、やがて豪族が発生します。その豪族の強力な武器による、また権力によって富がさらに集中し、やがて墓地の大型化が競われるようになります。これを古墳時代と呼ばれております。各地の豪族を束ね、頂点に立つ大きなピラミッド構造が大和政権です。さらに全国統一を目指すためにも、大陸の進んだ文化を取り入れ始めました。大量の知識人が大陸から招聘され、または彼らも喜んで渡ってきたと考えられます。そして仏教も伝わってきました。持ち込まれました。仏教思想を中心とする大陸系の文化人たちが大和に集まり、乙巳の変が起きる直近では、宮廷の四割近くが大陸系の人に占められるようになりました。まさに日本国の政治が乗っ取られようとしていたわけです。古来からの八百万思想を駆逐するかのような勢いの仏教と大陸思想。大混乱期に突入していきました。これを昔の美しい日本に戻すべく、大きなうねりが始まりました。そのうねりの頂点が乙巳の変と考えられます。
古代大和民族の心を掘り起こし整理したのが、これから述べる大化の改新の頃と考えられます。
乙巳の変は、以前大化の改新呼びました。乙巳とは、今でも一部使われている暦を表すものです。「干支」と言われています。六十年に一つの節で完結し、さらに繰り返してゆきます。干支では乙巳(いっし)を「乙巳(きのと・み)」と呼びます。この乙巳の変は西暦六四五年、飛鳥時代に起きた歴史的大事件です。後の大化の改新の元となりました。宮廷に参内した蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足が暗殺。それまで政治を思うがままに操っていた蘇我本家が滅しました。
その約十年前に、蘇我馬子が物部氏を滅ぼしました。物部氏は、仏教を尊重するも、古来からの日本の神道を中心に敬うことを強く主張した一族です。天皇のもとで武力を直接管理する物部氏は、日本統一に多大なる貢献をしました。一方、大陸系の強い影響を日本の朝廷にもちこんだ蘇我氏にとっては、邪魔な存在だったと推測されます。そのため蘇我氏によって、物部氏は排除されました。これ以降、仏教が勢力を全国に拡大していきます。
それにより大陸の影響が朝廷にまで及び、蘇我一族によって、天皇の政治さえも動かしてしまう巨大な力を有していきました。天皇の妃には蘇我氏の女性が嫁ぎ、まさに国をのっとったと言ってよいでしょう。
さらには蘇我氏の意向に反した崇峻天皇は、蘇我馬子の命令により暗殺され、葬儀も行われず、翌日に葬られてしまいます。なんという横暴で、天皇をもないがしろにする専横政治がここに行われたのでしょう。
しかし、乙巳の年に蘇我入鹿は天皇の前で殺されました。蘇我氏は日本書紀で作られた架空の苗字であり、また馬子、蝦夷、入鹿の名前も蔑視した名前に変えたと言っていいでしょう。馬や鹿は四つ足であり、また馬と鹿を足すと馬鹿になります。名前を大事にした人たちの呼称とは思えません。また、蘇我一族の他の人たちにも蔑視したような名前がたくさん記録されております。蘇我の漢字から見ても渡来系で帰化したことを匂わせる漢字の使い方です。
また、蘇我氏の御殿は、甘樫の丘の上に構え、天皇の御座所を見下ろすかのような地形です。このような状況下にあって、本来の大和民族の精神をもう一度呼び起こし、新たなる秩序を作り、神国日本の再生を目指そうとしたのがこの乙巳の変かと思われます。そして日本の歴史で初めて元号が採用され、「大化」と命名されました。蘇我氏を滅ぼした後、新たな日本の再建が始まりました。そして、712年に『古事記』が完成、それから8年後に『日本書紀』が完成します。これが現代の日本人の古代を語る上での元となっています。これを「記紀」と称します。
古事記には仏教の記述が一つもありません。まさに我ら大和民族が古来から大切にしてきた八百万の神々の思想、精神が描かれております。日本書紀では、仏教と区別するために、日本古代よりの神々への思いを「神道」と称し、明確に区別しました。乙巳の変に至るまでの大陸からの強い影響を一掃するためにも、また、区別するためにも、その精神を明記したものと思います。そして、「大王(おおきみ)」から「天皇」の称号に変えられました。
この大化以前の記録がほとんど日本に残っていません。巨大な古墳が作られ始めた二世紀以降なんら文章が残されていないのはなぜでしょうか。新たなる日本の歴史をスタートさせるために、それ以前の記録を破棄したのではないでしょうか。
当時の人々の日本への愛国心、そしてそれを日本民族によって新たに作り上げる決意は、大変なものではなかったでしょうか。
「記紀」は、八世紀のものです。新たなる秩序を作るべく編纂され、再生日本がここで誕生したものではないでしょうか。
「記紀」によって「大王」から「天皇」の称号が正式に使われて以来今日まで、その天皇のもとに日本国が成り立っているのです。大化の改新で、神道を国体の中心とする大和の民族の誇りを作り出しました。
そして、乙巳の変の干支(60年周期)が23回繰り返されたのが昨年の2025年になります。
ここで不思議なことに、乙巳の変は、現在の奈良県明日香村周辺で起きました。また当時、国政の中心には女性天皇の皇極天皇(のちの斉明天皇)でした。そして、同じ奈良県出身の高市早苗氏が女性初の内閣総理大臣になりました。古代の皇極天皇が政治の大きな変革期に立ち会ったように、高市氏も日本の大きな転換期の中心にいます。そして、高市早苗氏は、日本の政界や日本国における大陸の影響を今強く排除しようとしております。不思議な一致です。
現代の私たちも、新たなる国づくり、国のビジョンをまとめる大切な節目をになっているのではないでしょうか。
また、乙巳の変が成功して日本を再度神国として再建しようとしていた時に古代最大の戦、壬申の乱が起こりました。その後、天武天皇の時代に入ります。その長男の皇子が、実質、壬申の乱を勝利に導いた立役者です。それは高市皇子です。何か不思議な縁を感じます。
このように乙巳の変と現在の高市政権の登場は非常によく似ているものがある。しかし、歴史は繰り返さないと言われるが、見えざる心の面から観察してみよう。
古代では天皇の御心によって政治がなされました。一方、現代は民主主義の時代です。国民の心で動いていく制度と言えます。特にSNSの登場で、国民にすべての政府の動き、行政の動き、司法の動きが見えるようになりました。そこで誕生したのが高市政権です。支持率も70パーセント以上を絶えず維持しております。今まさに日本国民は、新しい時代の幕開けを望んでいるのではないでしょうか。私たち武道を学ぶ者にとって、全国民が豊かで平和な日本に暮らせるよう、新たな武人となっていくべきではないでしょうか。古い武士道をそのまま継承しても大きな意味はありません。古い武士道を継承しているとはいえ、数百年経てば、それは少しずつ変わってしまっています。今こそ、新しく文化を作るべく、再度我ら日本国民が武人として活躍できるよう、流れが始まったのではないでしょうか。
過去の日本の歴史において、外国から多数の影響を受けた。その都度、異質なものとして排除をせず、まず取り入れ、そして日本の文化に足りないものを補足し、消化していった。そして、不要なものは排斥し、成長を繰り返していった。
今、日本は、中国を始めとする大陸の強い影響を受ける中、しばらくは取り入れ、その実態を見つめています。時間のかかることではある。しかし、国民全員の気持ちがまとまり始めると、大きなうねりが生まれ、大胆な変革を望み、一致団結して 動き出す。まさにこの流れの中で見ると、この二つの事象は日本文化の一つと言って良いのかもしれません。